マスター・ディスティラー・ブログ 第4号 ― ピートの科学
David Hsieh

それが何であり、どこから来て、なぜウイスキーに行き着くのか ――炭素を豊富に含んだ堆積物の化学、世界中に広がるピート湿原の地理、そして私たちを惹きつける「ピート香」の本質について紐解いていきます。
著者 David Hsieh 丹丘蒸留所 主任蒸留士(Master Distiller) ポッドキャスト『Whisky for Pros』ホスト
本記事はポッドキャスト『Whisky for Pros』EP4〈The Science of Peat〉(2023年2月、スコットランド・ハイランド地方にて収録)をもとに再構成したものです。
ピート(泥炭)は、泥であると同時に石炭でもあります。
古代の植物の遺骸が幾重にも積み重なり、長い年月をかけて形成されたものです。酸素の乏しい環境下、一般的には「ボグ(泥炭湿原)」と呼ばれる場所で植物が枯れると、その組織に含まれる炭素は酸素と結びついて二酸化炭素を生成することができません。そのため、植物の残骸はその場でゆっくりと炭化していきます。十分に長い堆積期間と適切な圧力・温度条件がそろえば、最終的には石炭になります。
しかし、シルト(沈泥)や砂が混ざり、水はけが悪く常に水分を多く含む環境では事情が異なります。そこで形成される堆積物は、石炭より炭素含有量が低く、鉱物質を含んでいます。この湿った「半分泥で、半分石炭」のような物質こそが、私たちが「ピート」と呼んでいるものです。
ウイスキー愛好家にとって最も馴染み深く、真っ先に名前が挙がるピート湿原といえば、やはりアイラ島でしょう。しかし、スコットランド以外にもピートは広く分布しています。イングランド、ウェールズ、アイルランド、北欧諸国、ロシア、アメリカ、カナダ、インドネシア、さらには北朝鮮にいたるまで、いずれも豊富なピートの埋蔵量を有しています。以前、アラン島のラグ蒸留所を訪れた際、ビジターセンターの壁に世界のピート地帯を示した地図が描かれているのを目にしましたが、その分布の広さには驚かされました。
ピートとウイスキーの結びつきは、かつてのハイランド地方の素朴な暮らしに根ざしています。この地域の大部分では、低木や草地が広がるばかりで、薪に使えるような木はほとんど育ちません。そのため、薪を探しまわるよりも、地面からピートを切り出すほうがはるかに現実的だったのです。乾燥させたピートは、長い間、多くの家庭で最も一般的な燃料として使われていました。
ここから、一つの興味深い考え方が浮かび上がります。
ウイスキーのピート香が、一部の愛好家にとって、なぜこれほど親しみやすく、さらには心地よく感じられるのか。その理由は、スピリッツそのものよりも、人々が受け継いできた記憶にあるのかもしれません。かつて、ピートを燃料に暖を取り、料理をすることが日常的であった地域では、ピートの燃える匂いは「家に帰ること」「暖かさ」「食事」を意味するものだったでしょう。
この仮説を厳密に検証することはできませんが、一つの興味深い視点を与えてくれます。つまり、ピートの匂いは、ウイスキーの香りとして知られるようになるよりもはるか以前から、人々の暮らしや文化に根付いた香りとして存在していたのです。
ピートの塊そのものには、ほとんど匂いがありません。多くの蒸留所の見学ツアーでは、手にとって観察できるようにとピートの塊が見学者に回覧されますが、感じられるとしても、せいぜいかすかな土の香り程度でしょう。つまり、一部のウイスキーに感じられる「ピート香」は、ピートそのものではなく、ピートを燃焼させた際に放出される化合物――主としてフェノール類――に由来しているのです。
「当蒸留所ではピーテッドモルトは使用していませんが、仕込み水はピート層を通って流れてくるため黄色みを帯びています。そのため、私たちのウイスキーにはほのかなピート香があります。」このような説明を耳にすることがあります。しかし、この理屈は成り立ちません。
第一に、地下のピート層は数万年という長い年月をかけて堆積したものです。もし水が毎日のようにそこから風味成分を溶かし出しているのであれば、それらの成分はとっくに洗い流されてしまっているはずです。
第二に、ハイランド地方の水源の多くが実際に黄色みを帯びているのは事実です。私たちの蒸留所の水も例外ではありません(※1)。けれど、その水で紅茶を淹れたからといって「ピートティー」になるわけではありません。
もう一つの説明として、よく樽(カスク)の影響が挙げられます。トーストされたオーク樽は、それ自体がほのかなスモーキーさ、コーヒーのようなニュアンスを持っています。また、長期熟成によってそうした香りが前面に現れることがあり、それを「ピーティネス」と受け取る飲み手もいます。
しかし、それは知覚上の置き換えに過ぎず、本物のピートに由来するフェノール化合物とは異なります。ピート由来の個性を正しくたどるのであれば、やはりピートを「燃焼」させるプロセスに立ち返らなければなりません。
伝統的にピートは手作業で採掘されてきました。細長い長方形の専用シャベルで、湿原から帯状に切り出し、その後、自然乾燥させてから利用します。手作業で切り出されたピートは、細長い長方形のレンガ状になります。現在では、こうした手作業に時間を割ける採掘者はごくわずかで、多くの現場では油圧ショベルなどの重機が用いられています。そのため、採掘されるピートは不規則な塊状になります。ピートの切り出しシーズンは春から秋にかけてです。冬のピートは水分が多すぎて、凍結しやすいため、取り扱いが難しいのです。
ピート全体の用途を見ると、ウイスキーに使われる割合はごくわずかです。採掘されたピートのおよそ99%は、園芸や農業に利用されています。ピートは酸性で腐植質を豊富に含むため、アルカリ性土壌の改良や、ブルーベリーのような酸性土壌を好む作物の栽培に適しています。一方、ウイスキー用麦芽の焙燥に使われるピートは、世界全体の年間採掘量の1%にも満たないと考えられています。現在確認されている埋蔵量から見ても、今後1,000年から2,000年の間に枯渇する心配はないと推定されています。
しかし「地下に十分な量が存在すること」と「採掘しても問題がないこと」は同じではありません。
ピートに含まれる腐植質には豊富な有機物が含まれており、微生物や小さな生物が生息しています。ピート湿原それ自体がひとつの独立した生態系であり、その生物多様性は、単なる「トン数」という数字に還元できるものではありません。ピート採掘をめぐって本当に問われるべきなのは、地域の生態系のバランスにどのような影響を及ぼすのかという点です。近年、スコットランドでも、ピート採掘に関する適切な規制はどうあるべきかという議論が始まっています。
※1)本記事は2023年収録のポッドキャストをもとに再構成したものです。ここでの「私たちの蒸留所」は著者が当時勤務していたスコットランドの蒸留所を指しています。
著者について
David Hsieh、丹丘蒸留所(Tankyu Distillery)主任蒸留士。これまでスコットランドの複数のウイスキー蒸留所で蒸留士を務める。ヘリオット・ワット大学(Heriot-Watt University)で醸造・蒸留学修士(MSc Brewing and Distilling)を取得。ウイスキー・ポッドキャスト『Whisky for Pros』のホストおよびプロデューサー。同番組は台湾No.1のウイスキー・ポッドキャストです。
丹丘蒸留所について
丹丘蒸留所は、北海道上川郡東川町にある、全国でも珍しい公設民営クラフト蒸留所です。2020年に設立され、大雪山の清冽な湧水を使用し、シングルモルトウイスキーとクラフトジンを製造しています。東川町は北海道で唯一、上水道のない自治体であり、その水の純度の高さを物語っています。詳しくは tankyudistillery.jp をご覧ください。
出典
『Whisky for Pros』ポッドキャスト EP4〈The Science of Peat〉、2023年2月、スコットランド・ハイランド地方にて収録。
本記事に登場する他の蒸留所、ブランド、生産者に関する記述は、公開情報および著者自身の見聞に基づき、情報共有を目的として紹介したものです。商業的な比較や評価を意図するものではなく、それらに関する見解は丹丘蒸留所の公式な立場を示すものではありません。